2006年 10月 15日
集会報告 |
アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会 2006年
第20回報告
第20回をむかえ、靖国・遺骨問題に取り組む
真の追悼を考える場として
第20回目を迎えた今年(2006年)の「心に刻む会」は、小泉首相の靖国参拝問題と、日本へ強制連行された朝鮮人の遺骨返還問題という二つのテーマに取り組みました。
私たちの出発は、21年前の8月15日、当時の中曽根康弘首相が靖国神社へ公式参拝したことがきっかけでした。中曽根氏は「国のために戦って倒れた人に感謝を捧げるのは当然。さもなければ、誰が国に命を捧げるか」と語りました。それから歳月を経て、再び日本の首相が、周囲の強い反対を押し切って靖国神社へ参拝したのです。語るのは今も同じです。「戦没者に感謝を捧げるため」。イラクへ航空自衛隊が引きつづき派遣され続けている中、戦争と靖国神社との深いつながりを示しています。
こうした日本の不穏な動きに対し、韓国・台湾の人々から、8月15日には東京へ集まり、靖国参拝に抗議しようという呼びかけが、今年3月に発せられました。私たちもこれに応じ、毎年8月15日に開いてきた大阪の集会をあえてずらし、東京で、15日に向けて開かれた大集会やイベント、キャンドル・デモなどの実行委員会の構成団体として行動したのです。
ただ、私たちが20年前に始めた運動は、単に首相の参拝に反対するだけではありませんでした。「追悼とは何か、どうあるべきか」という根本問題で参拝に対抗しようとしてきました。もともと靖国神社とは、死を悲しむための施設ではありません。戦死を美化し、人々を戦争へと駆り立てるための宗教的な施設です。その参拝に真の意味で対抗するためには、まず私たちが、死を悼み、追悼することを、きちんと行うべきと、考えてきました。こうした観点から、毎年、被害関係者をお招きし、国内外の死者への思いを馳せ、集会を開いてきました。今年は、靖国参拝問題については、チワス・アリさん(台湾)と李金珠さん(韓国)をお招きしました。
日本国内に放置された遺骨の返還を
もうひとつ今、韓国で大きな問題になっているのは、日本へ強制動員・強制連行され、いまだ生死すら確認できず放置されている被徴用者の遺骨の返還問題です。04年2月、韓国国会は特別法を制定し、「真相究明委員会」という機関を立ち上げました。被害申告は今、22万人に達しています。真相究明委員会は、被害全体の解決への入り口として、遺骨返還から始めることを日本へ働きかけてきました。一昨年12月、鹿児島で開かれた日韓首脳会議において、ノ・ムヒョン大統領が小泉首相に対し、協力要請を正式に行って以後、日本政府による遺骨調査が進んでいます。すでに1700体近くが発見され、8月7日には初の日韓合同調査が福岡県で行われました。
この問題を、日本の仏教界が真剣に受け止め、曹洞宗・東西本願寺などが自らの戦争責任と植民地支配への反省の視点から取り組み始めています。「心に刻む会」もこれに協力し、それが一つの形となったのが、「韓国・朝鮮の遺族とともに─遺骨問題の解決へ2006夏─」の運動です。宗教関係者や労働組合、部落解放運動、また在日の民団・総連の方々と協力して実行委員会をつくり、7月28日から8月末までの約一カ月をかけて、全国27カ所で集会を開き、遺族20人をお招きしました。今年各地で「刻む会」に参加した証言者は、同実行委員会による招請のもとに私たちが受け入れる形となったものです。北朝鮮ミサイル発射への制裁によって3人が入国を拒否されるなど、妨害も起こりましたが、各地の集会は困難を乗り越えて成功のうちに開かれました。
こうして私たち「心に刻む会」は今年、「靖国」「遺骨」という2つの課題を取り上げることになりましたが、取り組みのなかで両者をつなぐ関連が、はっきりと浮かび上がってきました。それは、日本軍人・軍属の遺骨も約半数の100万体以上が、いまだに南方の島々の洞窟や、シベリアの原野に放置され、見捨てられたままだということです。
私たちは、あの靖国神社に、殺されたアジア諸国の2000万人が入っていなくても、日本人は入っているだろうと思っていました。しかし、日本人の軍人・軍属も、本当は入っていないのではないか。もし彼らを本当に追悼しようと思うならば、靖国神社へ出かけるのではなく、韓国・朝鮮の遺族と同じように、アジア全域を、身内が死んだ場所と遺骨を探して、私たちもさ迷い歩くべきではないかという思いに至りました。このような視点から、日本遺族会と決別して遺骨収集の活動を続けてこられた岩淵宣輝さん、また千鳥ケ淵戦没者墓苑の問題性を追及してこられた秋山格之助さんにお話しいただくこととし、日本人の被害者としての側面にも迫ることになりました。
第20回報告
第20回をむかえ、靖国・遺骨問題に取り組む
真の追悼を考える場として
第20回目を迎えた今年(2006年)の「心に刻む会」は、小泉首相の靖国参拝問題と、日本へ強制連行された朝鮮人の遺骨返還問題という二つのテーマに取り組みました。
私たちの出発は、21年前の8月15日、当時の中曽根康弘首相が靖国神社へ公式参拝したことがきっかけでした。中曽根氏は「国のために戦って倒れた人に感謝を捧げるのは当然。さもなければ、誰が国に命を捧げるか」と語りました。それから歳月を経て、再び日本の首相が、周囲の強い反対を押し切って靖国神社へ参拝したのです。語るのは今も同じです。「戦没者に感謝を捧げるため」。イラクへ航空自衛隊が引きつづき派遣され続けている中、戦争と靖国神社との深いつながりを示しています。
こうした日本の不穏な動きに対し、韓国・台湾の人々から、8月15日には東京へ集まり、靖国参拝に抗議しようという呼びかけが、今年3月に発せられました。私たちもこれに応じ、毎年8月15日に開いてきた大阪の集会をあえてずらし、東京で、15日に向けて開かれた大集会やイベント、キャンドル・デモなどの実行委員会の構成団体として行動したのです。
ただ、私たちが20年前に始めた運動は、単に首相の参拝に反対するだけではありませんでした。「追悼とは何か、どうあるべきか」という根本問題で参拝に対抗しようとしてきました。もともと靖国神社とは、死を悲しむための施設ではありません。戦死を美化し、人々を戦争へと駆り立てるための宗教的な施設です。その参拝に真の意味で対抗するためには、まず私たちが、死を悼み、追悼することを、きちんと行うべきと、考えてきました。こうした観点から、毎年、被害関係者をお招きし、国内外の死者への思いを馳せ、集会を開いてきました。今年は、靖国参拝問題については、チワス・アリさん(台湾)と李金珠さん(韓国)をお招きしました。
日本国内に放置された遺骨の返還を
もうひとつ今、韓国で大きな問題になっているのは、日本へ強制動員・強制連行され、いまだ生死すら確認できず放置されている被徴用者の遺骨の返還問題です。04年2月、韓国国会は特別法を制定し、「真相究明委員会」という機関を立ち上げました。被害申告は今、22万人に達しています。真相究明委員会は、被害全体の解決への入り口として、遺骨返還から始めることを日本へ働きかけてきました。一昨年12月、鹿児島で開かれた日韓首脳会議において、ノ・ムヒョン大統領が小泉首相に対し、協力要請を正式に行って以後、日本政府による遺骨調査が進んでいます。すでに1700体近くが発見され、8月7日には初の日韓合同調査が福岡県で行われました。
この問題を、日本の仏教界が真剣に受け止め、曹洞宗・東西本願寺などが自らの戦争責任と植民地支配への反省の視点から取り組み始めています。「心に刻む会」もこれに協力し、それが一つの形となったのが、「韓国・朝鮮の遺族とともに─遺骨問題の解決へ2006夏─」の運動です。宗教関係者や労働組合、部落解放運動、また在日の民団・総連の方々と協力して実行委員会をつくり、7月28日から8月末までの約一カ月をかけて、全国27カ所で集会を開き、遺族20人をお招きしました。今年各地で「刻む会」に参加した証言者は、同実行委員会による招請のもとに私たちが受け入れる形となったものです。北朝鮮ミサイル発射への制裁によって3人が入国を拒否されるなど、妨害も起こりましたが、各地の集会は困難を乗り越えて成功のうちに開かれました。
こうして私たち「心に刻む会」は今年、「靖国」「遺骨」という2つの課題を取り上げることになりましたが、取り組みのなかで両者をつなぐ関連が、はっきりと浮かび上がってきました。それは、日本軍人・軍属の遺骨も約半数の100万体以上が、いまだに南方の島々の洞窟や、シベリアの原野に放置され、見捨てられたままだということです。
私たちは、あの靖国神社に、殺されたアジア諸国の2000万人が入っていなくても、日本人は入っているだろうと思っていました。しかし、日本人の軍人・軍属も、本当は入っていないのではないか。もし彼らを本当に追悼しようと思うならば、靖国神社へ出かけるのではなく、韓国・朝鮮の遺族と同じように、アジア全域を、身内が死んだ場所と遺骨を探して、私たちもさ迷い歩くべきではないかという思いに至りました。このような視点から、日本遺族会と決別して遺骨収集の活動を続けてこられた岩淵宣輝さん、また千鳥ケ淵戦没者墓苑の問題性を追及してこられた秋山格之助さんにお話しいただくこととし、日本人の被害者としての側面にも迫ることになりました。
by kokoro_kizamu
| 2006-10-15 15:27
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